アルヴァ・アアルト(1898〜1976)は、フィンランドの建築家です。家具の人として知られていますが、はじめは建物のほうが先でした。
スツール60も、もとは図書館のために作られた椅子です。建物を設計した人が、その中に置くものまで自分で決めた。そういう順番でできています。
アアルトは1921年に建築の学校を出て、はじめの事務所をユヴァスキュラという町に構えました。名前が世界に知られたのは、1929年から33年にかけて建てたパイミオのサナトリウムです。結核の療養所でした。
そのあと、1935年に完成したヴィープリの図書館。スツール60は、この図書館のために1933年にデザインされました。人が座り、重ねて片づけられる椅子。用があってできた形です。
1930年ごろ、いちばん新しい家具は鉄のパイプでできていました。マルセル・ブロイヤーの椅子(1927〜28年)が知られています。細くて軽くて、工場で同じものをいくつでも作れる。当時の「新しさ」はそちらにありました。
アアルトもそれを見ていました。でも、療養所の椅子には向かないと考えます。丈夫で、汚れをふきとれて、衛生的ではある。ただ、そこは病気の人が長い時間を過ごす場所です。手が触れたとき、鉄は冷たい。
選んだのは、フィンランドの森にいくらでもある白樺(バーチ)でした。触れてもつめたくない。曲げれば、しなる。いまアルテックの家具がほとんど木でできているのは、このときに決まったことです。
とはいえ、木は鉄のパイプのようには曲がりません。アアルトは、家具職人のオット・コルホネンと一緒に、木を直角に曲げる方法を考えました。
バーチの角材の端を、木目に沿って何本も挽き割る。その溝に薄い板を差し込んで接着し、そこだけを曲げる。これがL字の脚です。1933年に特許を取りました。

アルテックに残る図面。「TAIVUTETUT JALKATYYPIT(曲げた脚の種類)」と書かれています。太さも長さも何通りもあって、ここから家具が組み立てられていきました。
金物も、複雑な仕口も要りません。曲げた脚が、丸い座面の裏に直接留まります。

スツール60をばらすと、これだけです。脚が3本、座面が1枚、ねじが6本。
部品が少ないので、平たい箱に入れて遠くまで送れます。フィンランドの小さな会社の椅子が世界じゅうに広がったのは、この形のおかげでもあります。
この脚ひとつから、50を超える家具が生まれました。いまアルテックにあるスツール、いす、テーブル、ベンチのほとんどが、この脚でできています。
1935年、アルテックができました。はじめたのは4人です。
アルヴァ・アアルト(1898〜1976)。建築家。
アイノ・アアルト(1894〜1949)。こちらも建築家です。1924年にアアルトの事務所に入り、半年後に結婚しました。仕事はふたりでするもので、上下はなかったといわれています。アルテックの見た目を決めていたのはアイノのほうで、のちに社長にもなりました。
マイレ・グリクセン(1907〜1990)。フィンランドの大きな会社の家に生まれた人で、美術のパトロンでした。彼女とアアルト夫妻が一緒に作った家が、マイレア邸(1938〜39年)です。
ニルス=グスタフ・ハール。美術史を研究していた人です。マイレ・グリクセンとアアルト夫妻を引き合わせたのがこの人で、アルテックの最初の社長になりました。
名前は art(芸術)と technology(技術)を合わせたものです。家具を売る会社であると同時に、展示や本で新しい住まいの考え方を広める会社にする。設立のときに、そう書いています。1936年にはヘルシンキに最初の店ができました。

ヘルシンキのアアルト自邸(1936年)の仕事場。1940年代の写真です。
© Alvar Aalto Museum
1941年、社長のニルス=グスタフ・ハールが戦争で亡くなります。そのあと社長になったのが、アイノ・アアルトでした。

戦争中のヘルシンキの店。窓を板でふさいでも、筆記体の看板はそのまま出ています。
© Artek Collection / Alvar Aalto Museum
店は続きました。スツール60は、1933年から一度も途切れずに作られています。2025年で、アルテックは90年です。
90年前に、脚を1本曲げるところからはじまった家具が、いまも同じ形のまま並んでいる。そういうものは、そう多くありません。